masaya's-book

愛と幻想のtumblr

ハチクロはお友達を持った事の無い人間が妄執のような憧れだけで描き続けた「お友達のいる世界」の物語だったのですが、描き上げた頃には沢山の共同作業や沢山の人との打ち合せを経て、本当に人と話せるようになっていて、なんとお友達までができていたのが人生の素晴らしい所だと、心からおもいます。

チャンスは意外と早く訪れる。薄毛に悩む男性をターゲットにした薬用シャンプー「スカルプD」のコンペで並み居る大手を退け勝利したのだ。

 いまや誰もが知る人気商品だが発売当初は苦戦。グラビアアイドルを起用した大手代理店の販売戦略の不調もあり、売上高が目標に達していなかった。

 08年、広告体制のテコ入れのため、再度のコンペが行われた。大手が大々的なテレビCMによるプロモーションを打ち出したのに対し、同社はその逆張り作戦に出る。

 3人は高額なCMを打たず、イベントやネットでの地道な販促を訴え、クライアントの心をつかんだ。

ドラクエ以前、C(コンピュータ)RPGは、基本、キャラクタは死んだらそれまでだった。

というのも、CRPGはテーブルトークRPGがご先祖で、史上初のテーブルトークRPG『D&D』はTSRのボード系のウォーシミュレーションゲームがご先祖様。だから戦闘シミュレーションの要素が強く、そして、ムチャをすればどんなキャラクタでもルール上は死んでしまうのが当たり前だった。
これを始祖としてCRPGの始祖の一つ『ウィザードリィ』はできている。だからキャラクタは死んで蘇生に失敗すると、灰になり、さらに蘇生に失敗するとロストする。またもう一つの始祖『ウルティマ』は死んだら、最後にセーブしたポイントから。セーブしてから死ぬまでの間のことはすべてなかったことになる。
つまり、ゲームでも当たり前に『人間、死んだらそれまで』だったのだ。

この話は1987年に『ドラクエⅡ』が世紀の大ヒットを飛ばして、さらに88年に『ドラクエⅢ』、90年に『ドラクエⅣ』が発売され、まさに「RPGといえばドラクエ」の時代で、ゲームシステムは、ドラクエ準拠で、バトルで負けたら最後に立ち寄った宿屋・教会・その他、そういった機能を持っている拠点に戻されるのが当たり前だった時代だ。
この時代、今よくあるコンティニュー方式は異端だったと考えていいし、チェックポイントによる自動セーブなんて遥か先の話だ。


ところが、プレイヤー=主人公のゲームで起承転結のあるストーリーを最後まで楽しんでもらうことを前提にすると、お話の途中で主人公が死んで退場してしまうのは、打ち切りになる連載漫画じゃあるまいし、全く困ってしまう。

といって、当時のファミコンでコンティニューのためのメモリを用意するのも難しいし、だいいちコンティニューはユーザーへの負担が案外大きい。
ユーザーがセーブした時の状態を覚えておかないといけないし、セーブした所へ逆戻りルールにすると「ああっ、最後にセーブしたのっていつだっけ?」ってユーザーにとって致命的な問題が発生するし、セーブポイントの数も問題だ。
だからドラクエでは、プレイヤーキャラクタが死んだ時「おお●●●● しんでしまうとは なさけない おまえにもういちどきかいをやろう」という文章で、ペナルティとして持ち金半分にして、そのままあっさり生き返らせている(と、僕はこの生き返るシステムを捉えている)。

勝利、勇、武、勲、進といった戦いに関する字を入れた名前が、男子の名前ベストテンに入っていた時期は、いつか?
“戦争に関する名前というのは、1937年の日中開戦以降の盛りあがりのときよりも、太平洋戦争が終わる1945年に近づくほど、上位のほうに色濃くあらわれて”くるのだ。
“しだいに勝利の見通しが立たなくなり、自信を失ってくるほど勝利にまつわる名前が増える”のだ。

終戦後の食糧難の時期には、茂、実、豊といった名が増える。
では、バブル期、つまり日本が豊かになったころは、どうだったか。
女の子の名は、“「愛」「愛美」という名前が非常に多くつけられ、ベストテンの常連になっていました。”

平成に入ってからは、動物、植物、季節、海、空、天体などの“自然界の何かをあらわす字が使われた名前で、ベストテンがほとんど埋めつくされている”。

坪田:何度言ったら分かるのか。答えは500回です。

500回、ですか。

坪田:データを取ったんです。英作文でチェックしなければならい4項目があります。「SV(主語・動詞)」「時制」「態」「ess(複数形)」です。これだけは、「3つのポイント」でなく、4つにせざるを得なかったのですが(笑)。1年間、小テストでこの4つをチェックしていくと、4項目が完璧にできるようになるまでに平均で500回ほどかかるのです。毎日言っているんですよ。それでも500回です。